日本シェアホルダーサービス株式会社
チーフコンサルタント 藤島 裕三
2021年6月に改訂されたコーポレートガバナンス・コード(以下、CGコード)[1]に対応したコーポレートガバナンス報告書の提出期限が、同12月末に終了した[2]。上場会社においては引き続き、コード対応に沿った招集通知の記載充実・改善など、来たる株主総会シーズンに向けた準備に着手することになる。中でも補充原則4-11①の改訂によって新たに盛り込まれた「スキル・マトリックス」については、株主総会参考資料においてどのような開示が行われるか注目度が高まっている。
図表1 CGコード補充原則4-11①の新旧比較
旧コード(2018/6/1) | 改訂コード(2021/6/11) |
取締役会は、取締役会の全体としての知識・経験・能力のバランス、多様性及び規模に関する考え方を定め、取締役の選任に関する方針・手続と併せて開示すべきである。 | 取締役会は、経営戦略に照らして自らが備えるべきスキル等を特定した上で、取締役会の全体としての知識・経験・能力のバランス、多様性及び規模に関する考え方を定め、各取締役の知識・経験・能力等を一覧化したいわゆるスキル・マトリックスをはじめ、経営環境や事業特性等に応じた適切な形で取締役の有するスキル等の組み合わせを取締役の選任に関する方針・手続と併せて開示すべきである。その際、独立社外取締役には、他社での経営経験を有する者を含めるべきである |
出所:東証資料よりJSS作成。赤字下線は改訂部分
改訂後の補充原則4-11①では「いわゆるスキル・マトリックスをはじめ」と例示の表現になっており、必ずしもスキル・マトリックスの開示がなければコンプライできない訳ではない。ただしCGコード改訂に関わるパブリック・コメントの結果[3]において、東証は以下のように回答している(43頁)。少なくとも東証のスタンスとしては、スキル・マトリックスよりも分かりやすい開示でない限りは基本、同書式を採用して開示することを期待しているものと捉えられる。
図表2 スキル・マトリックスに関するパブリック・コメント
番号 | コメントの概要 | コメントに対する考え方 |
96 | 「スキル・マトリックス」が例示の一つであることを確認したい。 | 補充原則 4-11①における、いわゆるスキル・マトリックスは、「経営環境や事業特性等に応じた適切な形で取締役の有するスキル等の組み合わせ」を開示するための方法の 1 つとして掲げています。スキル・マトリックス以外の方法によっても、本コードの趣旨に照らしてより分かりやすい開示が考えられる場合には、スキル・マトリックス以外の方法による開示を行うことも想定されています。 |
97 | 「スキル等の組み合わせ」を各社が必要と考える範囲で開示すれば、コンプライとなるという理解でよいか、それとも、スキル・マトリックスそのものを必ず開示しなければコンプライとならないという趣旨か、明らかにされたい。 |
出所:東証資料よりJSS作成
JSSではコーポレートガバナンスに関わるコンサルティング・サービスの一環で、スキル・マトリックスの策定を支援する際にバックデータとして活用するため、わが国の代表的企業であるTOPIX100採用銘柄を対象とした調査を実施している。本稿においては、同調査を通じた各社開示情報の分析結果につき、概略を紹介する。各社における今後の検討に資するものとなれば幸いである。
2021年10月の銘柄見直し時におけるTOPIX100採用銘柄(100社)を対象企業として、2021年1-12月に提出された株主総会参考資料におけるスキル・マトリックスの開示有無および開示内容について調査・分析を行った。開示があったのは54社と過半数に達しており、組織形態別では指名委員会等設置会社における割合が大きい。
図表3 TOPIX100採用企業における開示状況(2021年)
出所:各社株主総会参考資料よりJSS作成
業種別では電気機器が9社で最も多く、銀行業と情報・通信業がそれぞれ5社で続いている。もっとも電気機器は全体で16社あるので割合としては約半数の一方、銀行業と情報・通信業はTOPIX100採用の全社が開示する形となっている。
図表4 調査対象のうち開示企業の業種別内訳
社数 | 業種 |
9社 | 電気機器 |
5社 | 情報・通信業, 銀行業 |
4社 | 化学, 医薬品, 卸売業 |
3社 | 機械, 保険業 |
2社 | 建設業, 食料品, 小売業, 輸送用機器, 精密機器, その他金融業, 証券・商品先物取引業 |
1社 | 石油・石炭製品, 不動産業, 空運業 |
出所:各社株主総会参考資料よりJSS作成
開示54社におけるスキル項目数は合計で387に達した。本調査ではスキル項目の分析に際して、下記の大項目5つによる、JSS独自の分類方法を用いた。企業においては、①サステナビリティに適う存在意義(パーパス)を見出し、独自の②ビジョン/経営戦略を実現するため、差別化された③ビジネスを、卓越した④マネジメントで遂行することを、株主重視の⑤ガバナンスにより実現する、との考え方による。
図表5 スキル項目に関する5つの大項目
出所:JSS考察
監督を主眼とするモニタリング・ボードにおいては、⑤ガバナンスのスキルが最低限必要となる。その上で実効性の伴った監督とするには、①サステナビリティ、②ビジョン/経営戦略の知見も求められよう。さらに業務執行の決定も伴うマネジメント・ボードあるいはアドバイザリー・ボードであれば、③ビジネスや④マネジメントに踏み込んだ資質が期待される。実際の取締役会は明確にモニタリング、マネジメントと線引きできるものではないが、分類された各社のスキル項目には一定の特徴が表れるものと思料される。
スキル・マトリックスが対象とする役員の範囲につき、組織形態別を確認した。指名委員会等設置会社においては、社外取締役のみとする事例が3割弱あった。監督機能を求められるスキルを示せばよいとの考え方から、執行側である社内取締役を外したものと考えられる。取締役を兼務しない執行役を対象とした事例が見られないことも考え併せると、多くはモニタリング・ボードとしてのスキル・マトリックスを標榜していると解釈できる。
図表6 指名委員会等設置会社の対象役員(18社)
出所:各社株主総会参考資料よりJSS作成
指名委員会等設置会社と同じく大幅な執行権限の委譲が可能な監査等委員会設置会社では、対象を社外取締役のみとする事例は見られなかった。単純には決めつけられないが、取締役会におけるコンセンサスを経た上で社内取締役が業務執行を決定するという、実質的なマネジメント・ボードとしての取締役会運営が行われていることも推測はできよう。
図表7 監査等委員会設置会社の対象役員(8社)
出所:各社株主総会参考資料よりJSS作成
監査役設置会社は執行権限の委譲が難しくマネジメント・ボードとなるのが一般的と理解されるが、1割強においては社内取締役が対象となっていない。監査役設置会社のスキームにおいても自社なりのモニタリング・ボードを志向した取締役会強化の取り組みが行われているのだろう。もちろん社内取締役を排除したのは開示28社中の4社に過ぎず、多くではマネジメント・ボードとしての取締役会が構築されているものとは考えられる。
図表8 監査役設置会社の対象役員(28社)
出所:各社株主総会参考資料よりJSS作成
監査役を対象とする事例は、社外について7割弱、社内については半数強で確認された。いずれもスキル項目は取締役と共通していることから、監査役監査において求められるスキルではなく、取締役会に参加して意見陳述するのに必要なスキルと理解すべきだろう。監査役に適法性監査のみならず妥当性監査を求めることで、モニタリング・ボードとしての取締役会機能を高める取り組みの一環と捉えることもできるだろう。
なお取締役を兼務しない執行役員を含めているのは1社のみで、スキル項目は取締役と共通したものとなっている。少なくとも見る側の印象としては、マネジメント・ボードとしての取締役会を執行役員とチームで形成している、との解釈につながるのではないか。あるいはサクセッションプランを説明する一つの方法として、社内取締役の予備軍によるスキル充足度を示したものとの評価もできるかもしれない。
前述した通り、開示54社におけるスキル項目数は合計387に達しており、平均すると1社当たり7.2のスキル項目でマトリックスが形成されている。最多は14項目の2社、最少は3項目の1社だった。組織形態別に平均スキル項目数を見ると、指名委員会等設置会社と監査役設置会社が7弱である一方、監査等委員会設置会社は9と多くなっている。
図表9 スキル項目数の平均
出所:各社株主総会参考資料よりJSS作成
「1.調査の概要」で説明したJSS独自の5つの大項目による分類で、スキル項目の内訳を平均個数でグラフに表現した。全体として②ビジョン/経営戦略、④マネジメント、⑤ガバナンスに関わるスキル項目を中心に構成されていることが分かる。その一方で①サステナビリティに関する項目を採用している事例は、2社に1社未満に止まっている。
図表10 大項目によるスキル項目の分類(全体)
出所:各社株主総会参考資料よりJSS作成
組織形態別の傾向についても言及する。監査役設置会社のスキル項目を指名委員会等設置会社と比較すると、②ビジョン/経営戦略が少なく、④マネジメントが多い。取締役会が監督主体か(モニタリング・ボード)、執行中心か(マネジメント・ボードもしくはアドバイザリー・ボード)の違いが影響している可能性はあろう。なお監査等委員会設置会社については、監査役設置会社よりもさらに④マネジメントが多くなっている。
JSS独自の中項目による分類もグラフにした。②ビジョン/経営戦略は企業経営やグローバル、⑤ガバナンスでは財務・会計や法務・リスク管理が中心となっている。④マネジメントについては各社各様だが、人材やDX/IT、R&Dに関するものが比較的目立つ。なお組織形態別では、上述の通り監査等委員会設置会社が④マネジメントの項目が多く、中項目も多岐にわたっている一方、監査役設置会社では③ビジネスの中項目で「個別事業/業界/業務」が多様である(例:金融、ヘルスサイエンス、半導体)などの特徴が挙げられる。
図表11 中項目によるスキル項目の分類(全体)
出所:各社株主総会参考資料よりJSS作成
CGコードの趣旨に沿ったスキル・マトリックスかを判断する際、重要な指針となるのは、補充原則4-11①にある「経営戦略に照らして自らが備えるべきスキル等を特定した上で」の文言である。役員が既に持っているスキルではなく、会社が役員に期待するスキルであることを、経営ビジョンや中期経営計画などに紐づけて説明することが想定されている。そこで開示54社の記載を確認したところ、戦略などをベースにしていると明示した事例は4社に止まった。大部分は経営戦略に基づいていることが確かではない。
経営戦略との明確なつながりは示されていなくても、候補者に対して「期待する」「必要とされる」スキルであることを記載している事例は20社であった。これらは少なくとも「自らが備えるべき」スキルを説明しているとみなすことができる。一方で単に「取締役の専門性・経験」の標題などに止まっている場合、候補者が既に持っているスキルを後付けで並べているだけではないか、との疑いをもたれる可能性はあろう。
本来の趣旨を踏まえたスキル・マトリックスとするためには、策定プロセスも含めた検討が求められよう。例えばJSSでは、以下のような手順を踏むことを提案している。その過程においては当然、経営トップや指名委員会などの積極的な関与が必要である。また投資家の声を適切に反映することも望ましい。企業価値向上に資する取締役会を構築するべく、最適なプロセスで最善のスキル・マトリックスを導出することが期待される。
図表12 スキル・マトリックスの策定プロセス
出所:JSS考察
[1] https://www.jpx.co.jp/news/1020/nlsgeu000005ln9r-att/nlsgeu000005lne9.pdf
[2] プライム市場上場会社向けの原則については、2022年4月4日以降最初に開催される定時株主総会終了後に遅滞なく提出するコーポレートガバナンス報告書で対応することが認められている。
[3] https://www.jpx.co.jp/rules-participants/public-comment/detail/d1/nlsgeu000005hprf-att/nlsgeu000005lo50.pdf
以上
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