日本シェアホルダーサービス株式会社
チーフコンサルタント 藤島 裕三
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2021年に再改訂されたコーポレートガバナンス・コード(以下、CGコード)において、補充原則4-11①は「いわゆるスキル・マトリックス」を開示すべきとした。いわば2021年は「スキル・マトリックス元年」であり、同年6月の株主総会シーズンには早くも多くの上場会社が、株主総会参考資料(いわゆる広義の招集通知)でスキル・マトリックスの開示をスタートした。さらに2022年においては開示事例が増加しており、スキル・マトリックスは上場会社が自社の取締役会構成を説明するため、株主総会参考資料に標準装備するツールとなってきている。
弊社ではコーポレートガバナンスに関わるコンサルティング・サービスの一環で、スキル・マトリックスの策定を支援する際にバックデータとして活用するため、わが国の代表的企業であるTOPIX100採用銘柄を対象とした調査を実施している。本稿においては、同調査を通じた各社開示情報の分析結果につき、概略を紹介する。各社における今後の検討に資するものとなれば幸いである。
2022年10月末時点のTOPIX100採用銘柄(100社)[1]を対象企業として、2022年1-12月に提出された株主総会参考資料におけるスキル・マトリックスの開示状況について調査した。開示の有無および内容の分析に際しては、2021年1-12月の同開示を対象に実施した前回の調査結果[2]と比較している。なおTOPIX100採用銘柄の組織形態別による内訳としては、指名委員会等設置会社が25社、監査等委員会設置会社が19社、監査役設置会社が56社となっている。
分析対象となった開示事例は91社に達しており、前回調査の54社から大幅に増加した。2021年はCGコードの改訂案がパブリックコメントに付されたのが4月、同結果を踏まえて確定したのが6月であり、同年の招集通知における開示には未だ慎重だった企業が少なくなかったが、2022年においては事実上のスタンダードになったと言えよう。
図表1 TOPIX100採用企業における開示状況
出所:各社株主総会参考資料よりJSS作成
組織形態別では、前回から25社中の18社と約7割が既に開示していた指名委員会等設置会社が、さらに25社と開示事例を積み増して9割超となった。監査等委員会設置会社は前回こそ19社中の8社と半数に満たなかったが、今回は19社の全てが開示するに至っている。監査役設置会社の56社では前回がちょうど半数の28社、今回については大幅増の49社となったことで9割近い開示社数となった。
図表2 組織形態別による開示状況
出所:各社株主総会参考資料よりJSS作成
なお株主総会参考資料にスキル・マトリックスの掲載がなく、今回の分析対象とならなかった9社のうち、3社は別の開示媒体(コーポレートガバナンス報告書、ウェブサイト)に掲載している。他についても、取締役会が備えるべきスキル項目を提示した上で、それぞれに該当する人数を示すなど、独自の工夫で「スキル等の組み合わせ」を説明している。
本調査ではスキル項目の分析に際して、下記の大項目5つによる、弊社独自の分類方法を用いた。企業においては、①サステナビリティに適う存在意義(パーパス)を見出し、独自の②ビジョン/経営戦略を実現するため、差別化された③ビジネスを、卓越した④マネジメントで遂行することを、株主重視の⑤ガバナンスにより実現する、との考え方による。
図表3 スキル項目に関する5つの大項目
出所:JSS考察
監督を主眼とするモニタリング・ボードにおいては、⑤ガバナンスのスキルが最低限必要となる。その上で実効性の伴った監督機能とするには、①サステナビリティ、②ビジョン/経営戦略の知見も求められよう。さらに業務執行の決定も伴うマネジメント・ボード(あるいはアドバイザリー・ボード)であれば、③ビジネスや④マネジメントに踏み込んだ資質が期待される。実際の取締役会は明確にモニタリング、マネジメントと線引きできるものではないが、分類された各社のスキル項目には一定の特徴が表れるものと思料される。
スキル・マトリックスが対象とする役員の範囲につき、組織形態別で確認した。指名委員会等設置会社においては前回、社外取締役のみとする事例が5社あったが、今回は2社に減少した。モニタリング・ボードとして社外取締役の監督機能を重視する考え方と共に、執行役兼務であっても取締役会では監督機能を発揮することが期待されるとの認識から、対象に社内取締役を含める事例が増えたものと解釈できる。
図表4 指名委員会等設置会社の対象役員(23社)
出所:各社株主総会参考資料よりJSS作成
指名委員会等設置会社と同じくモニタリング・ボード向きとされる監査等委員会設置会社では、前回に引き続いて対象を社外取締役のみとする事例は見られなかった。業務執行取締役に対しても監督機能に必要なスキルを求める現れとの解釈に加えて、後述する具体的なスキル項目の設定における特徴を踏まえると、執行機能に必要なスキルも含めたマネジメント・ボードとしてのマトリックスを策定している可能性も考えられる。
図表5 監査等委員会設置会社の対象役員(19社)
出所:各社株主総会参考資料よりJSS作成
監査役設置会社においては、前回は4社あった社内取締役を対象外とした事例が今回ゼロ、また社内外の監査役を対象とした事例が増加した。監査役設置会社は執行権限の委譲が難しくマネジメント・ボードとなるのが一般的と理解されるが、自社なりのモニタリング・ボードを志向した取締役会強化の取り組みとして、業務執行取締役に対して監督機能に必要なスキルを求めていること、監査役についても取締役会の機能向上に対する貢献を期待していることが窺われる。併せて、執行機能を重視したマネジメント・ボードとしてのマトリックスであるため、業務執行取締役を対象に加えている可能性も考えられる。
図表6 監査役設置会社の対象役員(49社)
出所:各社株主総会参考資料よりJSS作成
開示91社におけるスキル項目数は合計714で(前回54社では387)、平均すると1社当たり7.8のスキル項目となる(同7.2)。前回比較で0.6増加したのは後述の通り、項目数が比較的多い監査等委員会設置会社の開示事例が増えたこと、監査役設置会社の平均項目数が増えたことが影響している。なお最多は14項目の1社、最少は4項目の1社だった。
組織形態別に平均スキル項目数を見ると、約7項目の指名委員会等設置会社、約8項目の監査役設置会社、約9項目の監査等委員会設置会社といった順になる。指名委員会等設置会社が監督機能にスキルを絞ることで項目数が少ない一方、監査役設置会社と監査等委員会設置会社の多くでは執行機能のスキルも加わっていることが推測される。
図表7 スキル項目数の平均
出所:各社株主総会参考資料よりJSS作成
「2.調査の概要」で説明した弊社独自の5つの大項目による分類で、スキル項目の内訳を平均個数でグラフに表現した。全体として②ビジョン/経営戦略、④マネジメント、⑤ガバナンスに関わるスキル項目を中心に、スキル・マトリックスが構成されていることが分かる。一方で①サステナビリティに関する項目を採用している事例は、2社に1社程度に止まっている。③ビジネスの採用頻度についても1社1項目には届かない。
図表8 大項目によるスキル項目の分類(全体)
出所:各社株主総会参考資料よりJSS作成
上記②④⑤の主要スキルカテゴリーにつき、監査役設置会社を指名委員会等設置会社と比較すると、④マネジメントが目立って多い。④は業務執行に属する項目であり、取締役会がマネジメント・ボード志向であることの表れとも考えられる。なお監査等委員会設置会社においては、さらに④マネジメントの項目数が多くなっており、②ビジネスが他より多いことも併せて、よりマネジメント・ボードとしての特徴が色濃く見られる。
図表9 大項目によるスキル項目の分類(組織形態別)
出所:各社株主総会参考資料よりJSS作成
弊社独自の中項目による分類もグラフにした(全社)。約8項目である平均スキル項目数に当てはめると、②「企業経営/戦略/企画」「グローバル/海外/国政性」、③「個別事業/業界/業務」、④「人材育成/人事/労務」「DX/IT/システム」「R&D/知財/事業開発」、⑤「財務/会計/政務」「法務/リスク管理/内部統制」が、標準的なスキル項目の組み合わせということになろう。なお①「サステナビリティ」も少なからず見られるが、同視点については②「企業経営」に含むとするケースも存在するものと考えられる。
図表10 中項目によるスキル項目の分類(全体)
出所:各社株主総会参考資料よりJSS作成
組織形態別に典型例を想定すると、指名委員会等設置会社は監督機能を構成する②と⑤の4項目を中心としつつ、実効的な監督のため③「個別事業/業界/業務」を必要とし、また④「人材育成/人事/労務」「DX/IT/システム」も監督対象としている。監査等委員会設置会社はこれに加えて、より業務執行の領域である④「R&D/知財/事業開発」「営業/マーケティング/ブランド」も取締役会で議論している。監査役設置会社においては④「営業/マーケティング/ブランド」は執行サイドのマターと捉える例が相対的に多くなっている。
TOPIX100採用銘柄の9割超がスキル・マトリックスを株主総会参考資料に掲載、他の開示媒体も含めればほとんど全てが開示していることから、少なくとも機関投資家の注目度が高い一定規模の上場会社においては、スキル・マトリックスを開示すること自体は一般的なプラクティスとして定着したと言えよう。今後は同開示がCGコード(補充原則4-11①)の趣旨に沿ったものか、機関投資家との対話に資するものであるかで、その評価が分かれていくものと考えられる。
改めてCGコード補充原則4-11①[3]を確認すると、スキル・マトリックスを策定する前提として「経営戦略に照らして自らが備えるべきスキル等を特定」することを求めている。また2021年7月に再改訂が確定した経産省「コーポレート・ガバナンス・システムに関する実務指針」(CGSガイドライン)[4]は、これを策定するに際して「取締役会に必要なスキルを明確化し、不足している部分を特定」すべきとしている。すなわち、既に選任された取締役が現有しているスキルではなく、経営戦略を実現するため取締役会に必要なスキルを用いて、マトリックスを策定、開示することが期待されている。
図表11 CGコードより抜粋(補充原則4-11①)
取締役会は、経営戦略に照らして自らが備えるべきスキル等を特定した上で、取締役会の全体としての知識・経験・能力のバランス、多様性及び規模に関する考え方を定め、各取締役の知識・経験・能力等を一覧化したいわゆるスキル・マトリックスをはじめ、経営環境や事業特性等に応じた適切な形で取締役の有するスキル等の組み合わせを取締役の選任に関する方針・手続と併せて開示すべきである。(後略) |
出所:東証ウェブサイト
図表12 CGSガイドラインより抜粋(22ページ)
スキル・マトリックスは取締役会のスキルの多様性を分かりやすく示すツールであるが、これを作る過程で、改めて自社の取締役会の在り方を議論するとともに、取締役会に必要なスキルを明確化し、不足している部分を特定し、取締役会の構成を見直していくことにこそ意味があることが認識される必要がある。 |
出所:経産省ウェブサイト
このような戦略志向・将来思考のスキル・マトリックスを策定ためには、策定プロセスも含めた検討が求められよう。例えば弊社では独自に、①独自の経営戦略や経営課題をベースに、②取締役会で議論すべきテーマを設定、③説明力の高いスキル・マトリックスを構成する、以下のような手順を踏むことを提案している。その過程においては当然、経営トップや指名委員会などによる積極的な関与が必要である。また自社戦略やガバナンスに対する投資家の声を反映することも望ましい。企業価値向上に資する取締役会であると信認されるため、最適なプロセスで最善のスキル・マトリックスを導出することが期待される。
図表13 在るべきスキル・マトリックスの策定プロセス
出所:JSS考察
以上
[1] https://www.jpx.co.jp/news/1030/nlsgeu000006ofa8-att/TOPIX100leaflet.pdf
[2] https://www.jss-ltd.jp/esgrirc/report/153/
[3] https://www.jpx.co.jp/equities/listing/cg/tvdivq0000008jdy-att/nlsgeu000005lnul.pdf
[4] https://www.meti.go.jp/policy/economy/keiei_innovation/keizaihousei/pdf/cgs/guideline2022.pdf