2023.7.18
日本シェアホルダーサービス株式会社
ESG/責任投資リサーチセンター
チーフコンサルタント 藤島 裕三
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東証は2023年4月、コーポレート・ガバナンスに関する報告書(以下、CG報告書)の記載要領を改訂した[1]。これは3月31日に公表された「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応等に関するお願いについて」(以下、東証要請)を踏まえたもので、特に【コーポレートガバナンス・コードの各原則に基づく開示】欄において、「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」(以下、資本コスト経営)と「株主との対話の実施状況等」(以下、対話状況)の新たな記載事項が追加されたことが注目される(下記は「記載例であり、厳密に書式が指定されている訳ではない)。
図表1:CG報告書の新たな記載事項
※ 「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応について」/「株主との対話の推進と開示について」(2023年3月31日公表)に基づく内容について、経営戦略や経営計画、決算説明資料、アニュアルレポート、自社のウェブサイト等で開示を行っている場合には、本欄に開示を行っている旨とその閲覧方法(ウェブサイトのURLなど)を記載してください。また、本欄に直接内容を記載することでも差支えありません。
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出所:東証「コーポレート・ガバナンスに関する報告書 記載要領」
いずれの事項についても東証要請は「できる限り速やかな対応をお願いいたします」としており[2]、さらにフォローアップ会議の資料(第10回)において「3月期決算会社の定時株主総会後に提出されるコーポレート・ガバナンス報告書の内容も踏まえ、今秋を目途に報告・議論を行うことを想定している」ことが明示されている[3]。すなわち個社の事情は勘案され得るにせよ、原則論として東証は新記載事項につき、3月期決算会社が6月株主総会後に提出するCG報告書において、記載されることを求めていると解釈すべきである。
そこで本稿では、プライム市場上場会社が提出したCG報告書(7月14日時点で最新)において、上記2つの新記載事項が明確に説明されているかにつき、調査および分析を試みる。なお7月14日を基準としたのは、東証の有価証券上場規程が提出を求める「内容に変更が生じた場合には、遅滞なく」(第419条)[4]を鑑み、6月末から半月経過していれば十分とみなしたこと、昨年7月14日時点のデータで東証が「コーポレートガバナンス・コードへの対応状況の集計結果」[5]を公表しており、同日をひとつの目安とできることによる。
3月期決算であるプライム市場上場会社(7月14日時点で1,237社)のCG報告書を対象に、東証要請を踏まえた2つの新記載事項が含まれているかにつき確認した。記載要綱が例示しているタイトル通りをキーワードにしたのでは趣旨を同じくする記載を柔軟に認識できないため、資本コスト経営は「資本コストや株価を意識した経営」、対話状況については「株主との対話の実施状況」を用いた。
図表2:プライム上場会社(3月期決算)における新記載事項の対応状況
出所:日経バリューサーチのデータよりJSS作成
調査の結果、2つのキーワードにつき記載が認められたのは2割にも達しておらず、いずれも抽出できなかった例が実に約7割と大勢を占めた。念のためグラフ中「両方の記載なし」からいくつかサンプル抽出してCG報告書をチェックしたが、分かりやすい標題を冠して説明しているにも関わらず「記載なし」としていたなど、明らかな見落としと捉えるべき事例は確認できていない。相当数のプライム市場上場会社においては、少なくとも明確な形では新記載事項に対応していない、と判断されても致し方ないものと思料される。
東証要請は資本コスト経営の記載につき「十分な現状分析や検討を行っていただくことが肝要」としつつ、具体的な開示が尚早であれば「計画策定・開示に向けた検討状況や開示の見込み時期」を示すことを推奨している。また対話状況は「直前事業年度における経営陣等と株主との対話の実施状況等」の記載を求めるもので、同記載がないことは即ち株主との対話そのものが実施されていないとも受け取られよう。いずれの項目についても自社が真摯に取り組んでいるならば、そのことが明確に伝わる開示方法が望ましいと思料される。
資本コスト経営の要請はプライムおよびスタンダード市場、対話状況はプライム市場の全上場会社を対象としているが、時価総額が大きい企業ほど機関投資家の注目度が高くなるため、より真摯に対応しようという意識が働きやすくなると推測される。そこでTOPIX100を大型株(3月期決算の81社)、TOPIX Mid400を中型株(同296社)、TOPIX Small(同858社)を小型株と区分して、サンプル企業のデータにつき分析してみた。
図表3:大型株・中型株・小型株の別による新記載事項の対応状況
出所:日経バリューサーチのデータよりJSS作成
分析の結果、大型株と中型株の間では明確な差異は存在しない一方で、小型株と比較した場合においては10ポイント前後の格差がついており、上述した「時価総額が大きい企業ほど東証要請に真摯な対応が導出される」との仮説に整合している。TOPIX Mid400銘柄は概ね1,000億円が時価総額の下限となっており、東証がプライム市場に相応しいとする「投資者との建設的な対話を中心に据えて持続的な成長と中長期的な企業価値の向上にコミットする企業」[6]に望ましい規模につき、ひとつの示唆となり得るかもしれない。
東証要請はPBR(株価純資産倍率)の1倍割れにつき「資本コストを上回る資本収益性を達成できていない、あるいは、成長性が投資者から十分に評価されていないことが示唆される1つの目安」と問題提起している。そのため同水準が低い企業において、資本コスト経営を重視する旨の説明を充実し、機関投資家との積極的な対話状況を示すことが、資本市場における「PBRリスク」(6月13日付リサーチセンター通信「高まる『PBRリスク』と上場会社に求められる対応」[7]参照)を低減するためには不可欠と考えられる。
図表4:PBRの水準(7月14日時点)による新記載事項の対応状況
出所:日経バリューサーチのデータよりJSS作成
そこでサンプル企業のデータにつきPBR0.5倍、1.0倍、1.5倍を閾値として分析したところ、PBRが低いカテゴリーほど対応が進んでいることが明確に表れた。PBR1倍割れに対する東証の問題意識ひいては「PBRリスク」を、健全な形で受け止めて新記載事項に取り組んだ低PBR企業が相当数あったことが窺われる。なお東証要請は、PBRが「既に1倍を超えている場合でも、更なる向上に向けた目標設定を行う」ことを期待しており、PBR1倍割れでなくても積極的な開示対応が望ましいことには留意すべきだろう。
東証要請はPBR1倍割れと並列して、ROE(自己資本利益率)8%未満についても取り沙汰している。ROE×PER(株価収益率)=PBRと表現されるなど、ROEは企業価値の重要な決定要因であり、機関投資家が最も注目する財務指標のひとつとなっている。東証要請はPBR1倍割れを「資本コストを上回る資本収益性を達成できていない」ことの目安とするが、一般に日本企業の株主資本コストは7%超とされていることが(経産省「伊藤レポート」[8]など)、特に「8%未満」をROEの必要水準と示した背景と考えられる。
図表5:ROEの水準(2023年3月期)による新記載事項の対応状況
出所:日経バリューサーチのデータよりJSS作成
これを受けてサンプルデータにつきROE10%、8%、5%を閾値として分析したところ、ROE8%を境として明確な対応の格差が計測された。わが国企業において「ROE8%」が重要なハードルレートとして、広く認識されていることが窺われる。ただしROEが8%に達していれば合格という訳ではない。東証要請は「成長性が投資者から十分に評価されていない」ことも問題視しており、ROEが8%以上であってもPBRは1倍割れのケースなどは、持続的な高ROEを達成するための資本コスト経営、それを機関投資家が適切に理解するための対話状況につき、積極的に開示する姿勢が望ましいと言える。
3月期決算であるプライム市場上場会社のCG報告書をサンプルとし、東証要請を踏まえた2つの新たな記載事項について対応状況を調査・分析したところ、以下の示唆が得られた。いずれも機関投資家の観点や評価を反映したアクションの表れだとも言え、資本市場の規律付けが健全に機能している証左と捉えることができるかもしれない。
もっとも、そもそも全体として対応度合いが決して高水準ではないことは課題認識すべきだろう。前述した通り、プライム市場上場会社全体で約2割、大型株(TOPIX100)に限定しても3割程度にしか明確な記載を確認できていない。東証要請が「できる限り速やかな対応」を期待していること、記載要領が「記載例」としつつも明確に記載を求めていることを勘案すると、上場会社全体としての反応は鈍いと言わざるを得ない。
企業によっては項目立てをしていないだけで、東証要請の内容自体はCG報告書の別記載および他の開示媒体で説明しており、実質的に対応済みであるという反論もあろう。しかし資本コスト経営や株主対応に特段の関心を持った機関投資家が、CG報告書を閲覧した際、該当する記載を容易に見つけることができないようでは、たとえ対応していても非効率かつ非合理に過ぎる。認識されない開示情報は存在しないに等しいのである。対話が双方向であるのと同様、開示においても双方向を意識した工夫が望ましいだろう。
-以上
[1] https://www.jpx.co.jp/equities/listing/cg/tvdivq0000008j85-att/nlsgeu0000064zec.pdf
[2] https://www.jpx.co.jp/news/1020/cg27su000000427f-att/cg27su00000042a2.pdf
https://www.jpx.co.jp/news/1020/cg27su000000427f-att/cg27su00000042a7.pdf
[3] https://www.jpx.co.jp/equities/improvements/follow-up/nlsgeu000006gevo-att/cg27su0000005p53.pdf
[4] https://jpx-gr.info/rule/tosho_regu_201305070007001.html
[5] https://www.jpx.co.jp/equities/listing/cg/tvdivq0000008jdy-att/nlsgeu000006jzbl.pdf
[6] https://www.jpx.co.jp/equities/market-restructure/market-segments/index.html
[7] https://www.jss-ltd.jp/esgrirc/report/370/
[8] https://www.meti.go.jp/policy/economy/keiei_innovation/kigyoukaikei/pdf/itoreport.pdf